未来の自分のため??

家計簿をつけるのがすごく好きです。使った額を記録するのに飽き足らず、来月のバイト代までシミュレーションして、「今月節約してたくさんバイトすれば、来月はこんなに余裕を持って生活できる!」と皮算用ではしゃいでは時間を溶かす、なんてことが多々あります。不思議なことにお金は貯まらないのですが。

 

振り返ってみると、僕はこんな風に「未来の自分に選択の自由を残してあげる」ということに喜びを感じているんだろうなぁと思います。高校時代に来週分の授業の予習を休日にまとめてやって「これで来週の自分は好きなことできる!」と喜んだり、「大学入ってから自分の好きなものを見つけることができる」と思って東大に入ったり。とにかく「未来の自分の選択肢を今の自分が奪わないように頑張る」という一種の信念みたいなものが、心配性な自分の行動の根底には流れているような気がします。

 

でも、その「未来の自分」っていつの自分なんだろう、とふと思うわけです。実際、少しお金に余裕ができた月の自分は次の月のために延々と家計簿と睨めっこしていたし、その週の予習をする必要がなくなった自分は更に次の週の予習を進めていたし。やっと未来の自分に重なった、と思った瞬間さらに未来の自分が現れて、その自分のためにまたその瞬間を捧げての繰り返しばかりな気がします。なんだかなぁって思っちゃいますね。

 

この信念が全て間違っているとは全然思わないけれど、それって覚悟や葛藤を伴う選択をする瞬間を延々と後回しにしているだけと捉えることもできるし、それだけだと結構もったいないのかなと最近の僕は思っています。結局勢いで選んだことの多くの帳尻は未来の自分が合わせてくれたし、寧ろその時にそれを選んだことで将来の自分の選択肢が新しく生まれたこともあったので。今この瞬間の自分が欲しいとものや求めていることにもスポットライトを当てようとした方が、毎日楽しいかもしれない。

 

とはいえ自分が今一番求めているのは今学期分の学費のメドです。休業補償と給付金、早く来ないかな。